「春の数えかた」(日高敏隆)

春になりました。

「春の数えかた」(日高敏隆)新潮文庫

4月1日です。
春になりました。
いや、もちろん4月1日から
春が始まるのではないことぐらい
承知しています。
でも、雪国に住み、
教員として生活をしていると、
4月1日からが本当の春という感覚から
どうしても抜けられないのです。

さて、今日取り上げる本書、
動物学者である筆者の目線から見た
身のまわりの自然、生物、人間に関わる、
36編からなるエッセイ集です。
1編が5ページ程度と短いので、
中学生でも十分読みこなせます。

「幻想の標語」
自然との共生ということが、
いろいろな場面で謳われます。
しかし、筆者はそれを
「少々古くさい生態学にもとづいた幻想」
と切り捨てます。
「自然は果てしない
 シェア争いの場であって、けっして
 調和のとれた場所ではない。
 シェア争いに勝った
 個体の子孫が殖えていき、
 その結果として種も存続し、
 進化もおこる。」
「自然が果てしない競争と
 戦いの場であるなら、
 「自然にやさしく」というとき、
 いったいそのどれに
 やさしくしたらよいのだろう?
 どれかにやさしくすれば、
 その相手には
 冷たくしていることになる。」

「緑なら自然か?」
美しく整えられた公園や緑地、
日本庭園について
筆者は「疑似自然」と突き放します。
「『自然の論理』にしたがって
 生えてくる草や木の芽は
 きびしく摘みとられてしまう。」
「美しく管理され、不愉快な雑草もなく、
 いやな虫もいない、疑似自然。
 そこにあるのは幻想だけだ。」

「ヒキガエルの季節」
昔のようにヒキガエルの鳴き声が
聞こえなくなってしまった
原因について解説しています。
「昔のような、
 なんだかよくわからぬ池が
 なくなってしまった。
 あっちもこっちも
 きれいにしようとする
 住民と行政双方の
 低俗な願望によって、
 池の水辺はコンクリートで
 固められた「親水公園」となり、
 池のまわりの草地は「美しい」芝生に
 変えられてしまった。」

自然というものの本質を突いた
鋭い指摘であり、
改めて自然とは何か、
自然と人間との関わり方は
どうあるべきか、
考えさせられます。

ただし、本書はこのような
堅い話がすべてではありません。
タイトルにもなっているように、
虫や花はどうやって
春の到来を感知しているのか?
というような身近な疑問を取り上げ、
やさしくわかりやすい言葉で
自身の見方を紹介しているのです。
難しい専門用語は一切登場しません。

まもなく始業式を迎える
中学校2年生に薦めたいと思います。

(2020.4.1)

Larisa KoshkinaによるPixabayからの画像

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